手書きの効用

手書き文字は伝える力があります

印刷された文字よりも手書きで書かれた文字には目が行きますよね。

街中は文字にあふれています。でもほとんどはパソコンで作られたような活字です。

飲食店に入ればメニューは印刷文字。でも手書きメニューは何だか味が伝わりませんか。

文字は個性が出せるものです。綺麗も下手もすべてはその人の個性です。その個性を出せる文字を今やパソコンやスマホで表現できなくなっています。

パソコンもスマホもフォントを自在に変化できますが個性ではありません。そのフォントを選択しただけです。

文字を絵のように描く

ひらがな、カタカナ、漢字、数値を図のように表現していくことで絵を描いているようにしてみませんか。

均等に描くのではなく、絵では奥行を描くように手前は大きめに、奥の方は小さく描きます。字も同じように言いたいこと強調したいことを大きく、添えるようなことは小さく、細目の字で書くとか。

これらを上手に利用しているのがPOPですね。書店ではおススメの本の紹介を手書きPOPで描いてあるものが多くあります。思わず読んでしまいます。店舗でいうとビレッジバンガード店なんかそうですね。

こんなPOP思わず目がいきますよね

己書は筆ペンをメインで使いますので筆文字になる訳ですが、筆で書いたもので思いつくのはこれです。

びっしりと書き詰められたこの文字凄いですよね

これは行司さんが書くそうです。相撲字を修行し書くのも行司の大切なお仕事のようです。

文字はうつくしい方がいいのか?

小さい頃、もっと綺麗に字を書きなさいと指摘を受けて育ってきていると、自分の字を卑下してしまいコンプレックスをもってしまいます。時代が変わりパソコンで文字を打つようになると文字を書く必要もなくなり字へのコンプレックスを思うこともなくなりました。

年賀状もLINEで済ます。

さまざまな申込書、契約書もタブレットでなぞるだけで本当に便利になりました。

最低限に字を書くのは御祝儀、香典の袋に書くときぐらいになった。

こんな字へのコンプレックスは字を綺麗に書けないということからです。

今思うと綺麗に書かないといけないことに価値はあったんだろうか?

芸術家 故岡本太郎氏は「うまくあってはいけない。 きれいであってはならない。 ここちよくあってはならない。 それが芸術における根本条件、岡本太郎はそう確信します。」と言っています。

「きれいな字」は「良い字」ではないと思います。「うつくしい紙面」と「良い紙面」は同じでないのと一緒ではないかと思うんです。

だからきれいに書く必要はないんです。自分の字で自分の気もちで表現するとその気持ちは伝わるんです。

そもそも字とは「伝える」ものです。

記録するためともいいますが、それも今を未来に伝えるためですね。

パソコンで書くより手書きは伝わる度は高いのではないかと思うんですね。

縦書き横書き

日本語は縦書きですね。左右中央に軸がくるようにできているので縦書きは行間が無くても字を大きくしたち小さくしたりするので隣の行との間に空きができて結構読めてしまいます。

でも横書きはどうしても大きさを揃えてしまいます。揃った文字も綺麗ですけどその分、面白さはなくなります。

横書きの便箋などは下の方に空白があくと見た目になんだかしまらない感じをうけますよね。

真ん中あたりに大きく書いた文字を入れることで1枚の便箋をしっかり埋めると面白味が出てくると思いますね。

上のような手紙だとしまりがないので・・・

文字間に己書文字を入れるとインパクトが変わります

このように文字の大きさを変化させることでコントラストが面白くなります。

まとめ

手にペンをもって書くことの機会が減少した今、何を書くのか。

何のために書くのか。

自分表現のためでいいのではないかと思うんですね。

文字を絵のように描くということは、思いのほか自分の中にある先入観が邪魔をします。

ダウン症の書道家で有名な金沢明子さんの著書を読ませてもらった時に、書道家の母親から書道を習いたての時に書いた般若心経としっかりと習って書道を体得した時に書いた般若心経とでは、習いたての時に書いた方が人気が高いと書いてありました。それはたどたどしい書き方なのですが味があるんです。綺麗に書けた般若心経は綺麗というだけなんです。

人の心に伝える力があるものは決して綺麗なものというわけではないことは、相田みつおさんの字などを見ても感じると思います。

字は自己表現、自分の気もちを伝えるために描くものだと思うんです。

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