蓮如上人の「御文章」にあるこの言葉、今こそ感じる

蓮如上人って、お坊さんだよね。としか知らなかった私が今、蓮如上人の書いた御文章の一文を読んで意味を理解しようとしています。

不思議ですね、人との出会いって。こんなにも考え方を変えていきます。考え方が変わると生き方も変わっていきます。己書を学んでいたので単に読むだけになく己書で実際に文字にしてみる。一文一文の意味を理解しながら書くと言葉の重みを感じます。

今回書いた文章は「まことに死せんときは かねてたのみおきつる 妻子も財宝も我が身には 一つも相添うことあるべからず」

私が学んだ解釈は「本当に死ぬときは、生きている時に頼みにしていた妻も子も、お金も何にも役に立たずで何一つ一緒についてきてはくれません。」という意味になると思います。

令和6年1月1日能登半島で大きな地震があって220名を超える方々がお亡くなりになりました。正月に子供たち、孫たちが集う楽しい元旦の夕方。もう少しで夕食だという時間の16時ごろに地震は起こりました。

一瞬の出来事で事態は変化をしました。亡くなった方々は、まさか令和6年の新年を迎える元旦に死に至るとは誰もが思ってもいなかったでしょう。

能登は高齢化が進み80歳を超える方が多くいらっしゃいます。

長く連れ添ったご夫婦も、家も財産も何一つ持たず現世を去ることになりました。

生きている現世を浮世ともいいます。まさに浮いたようなが現世なのだと痛感します。

今、幸せだと思っていてもいきなり、変化がやってきます。

この蓮如上人の言いたかったことは何なんでしょう。

結婚してても、お金や財産をもっていても意味がないよ、という厭世的なことを言っているのではないと思います。

このような現世だからこそ、幸せに生きていかないといけない。どんな状態になろうとも幸せを感じる生き方を求めていくことが大切だと教えているような気がします。

そんなの無理だろうと、言う方もいるでしょうけど。

蓮如上人の信仰する浄土真宗では、自分の力だけでは、このように幸せを感じる生き方をするのはできないと言っています。

人間は煩悩の塊であって、厳しい修行をしても煩悩はなくならず死ぬまで煩悩はなくなることはありません。よって欲望は際限なく出てきてもっともっとと求めてしまい、幸福感を感じにくいものです。

どんな状況であっても受け入れていく難しいとは思いますが、受け入れて、その中から光(幸福)を見出していくこと。見出せたときに感謝の心を持つことが大切なんだよ。という阿弥陀仏の教えを信じることだと言っていると私は考えています。

阿弥陀仏は浄土真宗が大切な仏としています。お釈迦様とは違います。お釈迦様も仏なのですが、阿弥陀仏は仏の中の最高位の仏でお釈迦様の先生でもある仏なのです。

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