お釈迦様の学びを継続しています、「雑毒の善」という言葉は人間の持つ性だと思います

人は善の行いをしないといけないとお釈迦様は教えています。

善ってなんだということになりますけど、それは現在の自分の置かれた環境がその結果だということです。

「因果応報の道理」という真理のことです。

言い方をわかりやすくすると、自分がやったことの結果が表れているということです。

善の行いをした人には善の結果が、悪の行いをした人には悪い結果が出るという

どの世界に行っても変わらない真理を伝えています。

こういうと必ず反論する方がいます

善人なのに病気がち、何も悪いことをしていないの最悪の人生だ、などと。

一ついえることが、行ったことの結果が今、すぐに目の前に表れるとは限りません

何年も後だったり、生まれ変わりだったりといつ表れるかは人によります

悪の行いをして、すごいいい生活をしているというのも

果たして本当でしょうか

いつ逮捕されるだろうか

いつ自分の地位を脅かすものがでてくるか

などと心の中は果たして穏やかな状態でしょうか

お釈迦様は必ず自業自得ということがあるとおっしゃっています

さて本題の今日の言葉は「雑毒の善」です

善の行為として人へ施しをする場合があります

それは食べ物でも、お金でも、言葉でも・・・

その後のお礼がないと

どうでしょう

行いをした人は、どんな気持ちになりますか

腹立たしく思うことはありませんか?

子供への教育なら「してもらったら”ありがとう”をいいなさい」と言い聞かせることもあるでしょうけど

大人に対してお礼がないと、なんて無礼な人と腹を立てるのです

そこには見返りを求める心が潜んでいます

見返りを求め、自分の行いを承認してもらいたいという心が潜むからです

そんな心を毒として例えた言葉です

マザー・テレサの有名の言葉があります

人はしばしば不合理で非論理的で自己中心的です

それでも許しなさい

(中略)

人にやさしくすると、人はあなたに隠された動機があるはずだと

非難するかもしれません

それでも人にやさしくしなさい

・・

引用元 https://iyashitour.com/meigen/greatman/mother_teresa

見返りを勝ってに求めてしまい

返ってこないことに不満を抱き

心を煩わせて

体まで不調をきたす

そんなことはありませんか

SNSでもそうです

何かアクションや投稿をしたら見返りを求め

ハートマーク、コメント、フォローを心待ちにする

人の評価を幸福を測る値にしないことこそが

幸福になることだと思います

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