『徒然草』これ何と読むか知っていますか?
「つれづれくさ」と読みます。
ご存じの方には失礼しましたですけど😀
そんな昔の随筆が何か?という感じなんですけど・・・
これは1317年―1331年の間に書かれた鎌倉時代のものです。
この時代に書かれたものですけど、いい意味の文章があるんです。
まずは原文をご紹介します
能をつかんとする人、
「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
いまだ堅固(けんご)かたほなるより、
上手の中にまじりて、毀(そし)り笑はるるにも恥ぢず、
つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨(こつ)なけれども、
道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能(かんのう)の嗜まざるよりは、
終(つい)に上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、
双(ならび)なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、
始めは不堪(ふかん)の聞えもあり、
無下の瑕瑾(かきん)もありき。
されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埓(ほうらつ)せざれば、
世の博士にて、万人(ばんにん)の師となる事、諸道かはるべからず。
徒然草 現代語訳つき朗読
この意味を意訳すると
何か学んでうまくなろうとする者は、うまくなってから人へ言った方がいいだろう!と考えるけど。
その考えではうまくならない。
うまくなる人は、下手なうちから上手い人に混ざり、失敗し、笑われ、そしられても努力し、守破離のごとく学び続けれはやがては名人、師になるものだ。
という意味です。
このこと、今でもまったく当てはまりますね。
下手なので、まだ人前には出れないとか、
まだまだと謙遜ばかりしていても上達はできない
何かに打ち込んでいく過程でも
どんどんと人に見せて
批評を受けても続ける人がどんどんとうまくなっていく
すべてに通ずるものではないですかね😁
己書は上達を目指すものではないです
書きあがった作品は家の人に見せたくなります。
家に帰って
自分の子供たちへ
または
ご主人、奥様へ
ねえねえ!見てよ、これ、と言いたくなりますよ😁